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TOPIC

志援隊による令和6年能登半島地震の災害支援ボランティアについて

志援隊による令和6年能登半島地震の災害支援ボランティアについて

京都刑務所滋賀拘置支所 根耒 靖昌 

1 はじめに

私のボランティア元年は、平成23年に発生した東日本大震災でした。

東日本大震災の発災直後、私は、テレビから流れる衝撃的な映像に言葉を失い、自然のおそろしさや絶望感とは別の何かが、沸々と湧き出る気持ちを感じました。

発災から2か月後となる同年5月、大型連休を利用して、有志の同僚刑務官4名とともに、宮城県の南三陸町において、私自身初めてとなる災害ボランティア活動に従事しました。これを契機に、以後、私は、防災士資格等を取得し、平時には防災、減災対策に努め、災害時には情報収集を行い、災害発生後には有志の同僚とともに、各地の災害ボランティア活動に赴くようになりました。

2 災害支援ボランティアチーム「志援隊」への参加

  そんな折、令和5年5月17日、私の元上司である、山本孝志氏(元・京都刑務所長)らが発起人となる、矯正職員を中心とした災害支援ボランティアチーム「志援隊」が立ち上がり、私も志援隊の活動に賛同し、参加させていただくこととなりました。志援隊が掲げた活動理念の一つである、「職務で培った知識・行動力・団結力・胆力を役立てる(公益性)」は、私が東日本大震災の惨状を見て沸々と湧き出た気持ちに通ずるものがあり、同じ志を持つ仲間との情報共有や支援活動は、自助・共助につながる、知識や技能の習得が期待できるだけでなく、矯正職員の力が合わされば、被災地支援に留まらない、社会に対する支援活動に繋がるのではないかと考えたことも参加理由でした。

3 令和6年能登半島地震に係る石川県のボランティアの受け入れ体制

能登半島地震に係る石川県のボランティアの受け入れ体制は、私がこれまで経験してきた、個々で活動拠点となるボランティアセンターに直接赴き、活動当日、活動場所をマッチングしてもらって活動するという、誰でも参加可能なものとは異なり、希望者が参加可能日や有する資格等を事前登録し、ボランティアセンターから返信があった者だけが参加できるシステムである上、人数も各町で30名から多くても50名程度に制限されているなど、一般般ボランティアの参加が容易ではない状況でした。背景には、発災直後の人命救助が最優先である状況下、能登半島の立地や被災による損壊した厳しい道路状況、宿泊事情等から、個人ボランティアを抑制する必要があり、個人ボランティア自粛の情報提供が大々的に行われたことが原因として考えられます。

4 志援隊の災害ボランティア実施調整

(1) 能登半島地震の発災後、志援隊は早い段階でのボランティア活動の検討をしていましたが、前記の理由から、石川県での災害支援ボランティアの活動の日程調整が難航していました。そこで、滋賀拘置支所で勤務する私は、他の隊員に比して被災地に近いという利点を生かし、志援隊関西支部(通称:志援弁慶隊)として、災害支援ボランティアに就き、被災地の現状を確認し、志援隊への情報提供が有用であると考えました。また、現地で当隊の活動を直接伝えることができれば、以後の当隊の活動調整の一助になるのではとの考えの下、活動の参加調整を続け、令和6年4月27日(土)、志援弁慶隊として、石川県鳳珠郡穴水町での災害支援ボランティア活動に至りました。当初、同日の活動は志援弁慶隊5名程度での活動を調整していましたが、同町のボランティアセンターの受け入れ事情等から、1名のみ活動受け入れ可能との連絡があったことから、私が志援弁慶隊代表として同町での災害支援ボランティア活動に従事しました。

同町での活動は後述いたしますが、私は、活動の合間である昼食時間帯や、活動終了後等を利用し、穴水町社会福祉協議会でボランティアセンターを管轄する職員の方にコンタクトをとり、志援隊発足の経緯や活動理念等を直接説明し、当隊の以後の活動調整を依頼したところ、当隊の活動等に賛同いただいた上、今後の同町における志援隊の災害支援ボランティア活動については、同職員と直接交渉の上、活動日の調整を行うこととなりました。

加えて2名のみの受け入れではあったものの、同年5月3日(祝)には、石川県鳳珠郡能登町における活動が認められたため、引き続き、私ともう1名の志援弁慶隊隊員が、志援隊としての災害支援ボランティア活動を行い、私は、穴水町と同様に、同町の社会福祉協議会の職員の方にも、志援隊の活動等を説明し、以後の能登町での志援隊の災害支援ボランティア活動の日程調整を快諾いただきました。

(2)上記のとおり、穴水町及び能登町での活動については、両町社協と調整済みであったところ、同年6月頃、両社協に対し、同年7月中旬に志援隊20名程度での災害支援ボランティア活動の申し入れを行ったところ、依頼日時点では、ボランティアセンターが6月末日で閉鎖される可能性があり、当隊が希望する日程の活動受け入れの可否について回答困難であるとの回答を受けました。穴水町社協も同様の回答であったところ、後述の活動実績記載のとおり、同年6月初旬、志援弁慶隊として穴水町で志援活動の際、穴水町社協から、誓備訓練等の特殊訓練を行っている現役の刑務官に、との理由から、高所作業を含む、土蔵解体の特殊案件を受け、他県のボランティア団体と共同で活動したことを評価いただき、仮に穴水町のボランティアセンターが閉設した場合でも、志援隊の災害ボランティア活動については、受け入れる方向で検討するとの回答を得て、その後も、穴水町社協、長野県及び石川県のボランティア団体と調整を継続した結果、本年7月13日(土)及び同月14日(日)の志援隊としての同町における災害支援ボランティア活動が決定しました。

5 宿泊地の調整

前述の4月及び5月の活動は日帰り日程であったところ、7月の志援隊としての活動は1泊2日で予定していたこともあり、6月の穴水町における災害支援ボランティア活動は、下見をかねて宿泊する日程で行うこととし、同町の閉校となった中学校の校舎や体育館を避難所と同様の形で開放したベースキャンプを利用させていただきました。同ベースキャンプは、避難所さらながらに、個人テントや段ボールベッドを使用したものであり、同所での宿泊は避難所開設に際して、良い経験となりましたが、同所は利用者が少ないなどの理由から、当隊の活動日である7月は閉鎖されていることが判明したことから、志援隊としての利用には至らず、代わりの宿泊地として、これまでの志援弁慶隊の活動で連携してきた石川県のボランティア団体と調整した結果、穴水町在住のボランティア者を支援する活動をされている一級建築士の方の協力を得られることとなり、ボランティア者に許可されている宿泊地(被災した民家を再利用)の使用が認められ、熊本から参加の2名が前泊で、活動日当日に13名が同宿泊地を利用させていただきました。

6 活動実績(活動者欄の括弧内は活動者の所属、順不同。)

(1)令和6年4月27日(土)
   活動者: 1名(滋賀拘置支所)
   活動内容:石川県鳳珠郡穴水町において、主に災害不要物等の搬出等

(2)同年5月3日(祝)
   活動者:2名(滋拘支、京都拘置所)
   活動内容:石川県鳳珠郡能登町において、主に災害不要物等の搬出等

(3)同年6月8日(土)
   活動者:5名(滋拘支、京都刑務所、京拘、大阪刑務所、職員家族)
   活動内容:穴水町において、主に災害不要物等の搬出等

(4)同月9日(日)
   活動者:3名(滋拘支、京刑、大刑)
   活動内容:穴水町において、社協からの依頼により、土倉の解体作業等の特殊案件を受ける。長野県、広島県、石川県のボランティア団体と連携して活動。

(5)同年7月13日(土)
   活動者:16名(山本代表、滋拘支2名、京刑2名、京拘、加古川刑務所、府中刑務所3名、特別機動警備隊3名、熊本刑務所、職員家族2名)
   活動内容:穴水町及び石川県輪島市門前町において、能登瓦の解体、保存、家屋解体等の特殊案件活動。3分隊に分かれて、各分隊が広島県、石川県のボランティア団体と共同して活動。

(6)同月14日(日)
   活動者:13名 (山本代表、滋拘支2名、京刑2名、京拘、加古川刑、府中刑3名、特機3名、熊刑)
   活動内容:穴水町及び石川県輪島市門前町において、能登瓦の解体、保存、家屋解体、椎茸の原木移動等の特殊案件活動。4分隊に分かれて、各分隊が広島県、石川県のボランティア団体と共同して活動。

(7)同月15日(月)
   活動者:1名(熊刑)
   活動内容:石川県七尾市において、解体廃材の運搬等

(8)同月16日(火)
   活動者:1名(熊刑)
   活動内容:輪島市において、重機を使用した、土倉の搬出及び整地並びに崖崩れした土砂、雑木の搬出及び整地

(9)同月17日(水)
   活動者:1名(熊刑)
   活動内容:穴水町において、寺院の仏像等安置の土倉壁の搬出等

7 被災地の現状

(1)活動実績にも見られるように、被災地のニーズは、発災直後の人命救助や避難場所、仮設住宅の確保を経て、不要物の搬出、危険個所の排除や新しい生活のためのお手伝いに変化しているなど、ボランティアも次のフェーズに移行していると思われます。実際、個人ボランティア自粛の原因となっていた、金沢市街から能登半島への主幹道路は完全復旧ではありませんが、被災地の日常を圧迫するほどの渋滞が発生するような状況にはなく、金沢市街から輪島市まで車で3時間程度の交通状況となっていますし、活動を行った穴水町の飲食店や物販店は復興の入口で、続々と営業再開している状況にありました。本来ボランティアは、飲食や宿泊など全て自己完結が原則ではあるところ、今回の志援隊の飲食については、あえて現地調達とし、再開直後のうどん屋さんで昼食をいただくなど、食べる支援なども行いました。

(2)復興の兆しが見えるとは言え、東日本大震災に参加した災害支援ボランティアは、3か月で約50万人、2016年の熊本地震では3か月で約10万人であるといわれていますが、石川県では3か月で約5万人、6月末まででも11万人に満たないとの統計結果が出ているとおり、これまでの石川県での現地活動を通して感じるのは、まだまだ支援は足りていないということです。

8 おわりに

(1)これまでの活動で出会った方々とのことを所感的にるる述べます。不要物の搬出ボランティアにおいて、倉庫内は全部不要、廃棄との指示を受けて作業開始したものの、発見した古い写真アルバムや賞状などを廃棄するのが忍びなく、そっと玄関に置いて帰ったところ、後日、ボランティアセンターに感謝の連絡があったとボラセンスタッフから教えてもらったこと、岐阜県からボランティア参加の高校生に話を聞くと、テレビで被災地の現状を知り、同級生を集め、担任の先生にお願いして引率してもらって参加していること、休日であるにもかかわらず、自家用車でこれに応えた先生たちと出会えたこと、我々が刑務官であることを告げると、労いと感謝の言葉を掛けてくれた被災者の方々やボランティアさんたち、家屋が全壊しているにもかかわらず、「ありがとう。」と何度も言い、冷たい飲み物などで接待してくださった被災者の方々との出会い、穴水町ベースキャンプの体育館に掲げられた能登高等学校書道部の生徒さんが書いた「恩送り」、「私たちが受けた親切や喜びや感謝の気持ちを受け継ぎ繋げていきます。」とのメッセージに込められた想い、被災地支援での活動において、支援に赴いた我々もまた、支えられていると感じることができました。大切なのはお互いさまの気持ちです。

(2)最後に、災害支援の必要がないことが何よりですが、現時点においても、石川県をはじめ、愛媛県松山市の土砂災害、山形県や秋田県の大雨災害など、支援を必要としている地域は多くあります。私が述べるのもおこがましいですが、志援隊の活動は職務で培った能力等を被災地に還元する災害支援だけではなく、これらの災害支援活動を通じて、防災意識の向上や、社会に理解される矯正を目指す活動であると思っています。志援隊の活動や活動理念が少しでも広まり、健全で明るい社会づくりの一助になれば幸いに存じます。

令和6年8月5日記